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似ていなくても全然問題ないんだからと無理矢理作ってもらったのが、
当サイトの画像であった。
日本にも、アメリカと同様に多くの「サンガーの娘たち」が出現したと思っている。
(7)
日本で認可されたピルは10ブランド、6種類のピルであった。
そして実際に発売されたのは、わずか5種類のピルであった。
ずいぶん寂しい出発であったが、
5年後まで5種類のピルが生き延び、
できれば6種類になってほしいというのが当サイトの願いであった。
当時既に世界のピルはさらに進化しつつあったけれども、
あえてそのことには触れなかった。
マーベロンが日本でも発売される環境を作りたいという思いから、
それなりの説明もしてきた。
この点に関して、所期の目標は達せられたと考えている。
本サイトはガイドラインの問題点の指摘も行った。
ガイドラインが改善されたのは本サイトの指摘とは関係ないかもしれないが、
一定の役割を果たしたのではないかと自負している。
本サイトが緊急避妊法について紹介した当時、
緊急避妊法についてほとんど知られていないのが現実であった。
当時、世界では黄体ホルモン単味剤での緊急避妊が知られていたのだが、
そのことについてはあえて触れなかった。
日本の所与の環境の中で可能な緊急避妊法を紹介し、
まずは緊急避妊法の定着をめざした。
このことについても、本サイトは一定の寄与をしたのではないかと自負している。
その他、低用量ピルによる月経移動の方法など本サイトによる情報提供は、
ささやかながら貢献できた点もあるのではないかと考えている。
数年前サイトを閉鎖することをいったん決意したのは、
所期の目標はほぼ達成されたとの認識もあったからだ。
もちろん、私たちは日本の現状に満足し切っていたわけではない。
むしろ、最低限の条件整備が行われたに過ぎないと考えている。
残されている課題は多いのであるが、
1ウェブサイトの担いきれる課題でもなかった。
(8)
2010年11月、バイエル薬品から月経困難症治療剤ヤーズ配合錠が発売された。
YAZは本来、超低用量ピルであり、歓迎すべき事だ。
しかし、日本での認可は避妊用超低用量ピルとしての認可ではない。
治療薬としての認可なのだ。
私はかつて、ピルの治療薬化の問題点を指摘したことがある。
おそれていたピルの治療薬化のドミノが起きようとしている。
ヤーズ配合錠とルナベル配合錠の薬価は7000円程度である
(自己負担額は3割+)。
メーカーからしてみると、薬価と小売値は同等の意味である。
避妊薬として認可を取ると市場小売価格2500円程度の物が、
治療薬として認可を取ると7000円にもなるのである。
これでは、避妊薬として認可を求めるメーカーは現れないだろう。
(9)
薬価はやがて下がる。7000円の薬価が4000円に下がったとする。
患者負担は1200円となる。
このとき、どのような現象が起きるか想像してみるとよい。
病院としてみると、月経困難症と診断して薬価4000円の薬剤を処方する方が得だし、
患者からしても生理痛があるといえば1200円でピルを処方してもらえるなら、
そちらを選ぶだろう。
たしかにその時、既存の避妊用ピルの卸値が半額になり小売値も半額になる可能性もある。
しかし、その可能性は限りなくゼロなのだ。
病院の経営を考えれば、そのような選択はあり得ない。
つまり、避妊用ピルは日本から淘汰されてしまうのだ。
オーソMの治療薬化をかつてピル絶滅計画と評したことがある。
今、それが現実の問題となっている。
(10)
2005年5月、ネットを去ることを決意した。
敗北を悟ったからだ。
前月の衆院厚労委員会で、政府は水島議員の要求を認めた。
日本で避妊薬としてのピルが解禁された1999年に、
ピルを避妊薬として認めず治療薬としていたのは日本と北朝鮮だけだった。
やっとルビコンを渡ったのに、日本は川の向こうに引き返そうとしていた。
1錠300円から400円程度になるとの情報も得ていた。
政官財学民一体の力に抵抗しても無駄だと悟った。
辞世の句の代わりに、何が問題なのかを文章にして表明した。
その後の事態はその時思った通りに推移していた。
(11)
2011年、東電原発事故が起きた。
事故後の報道の中で、「原子力ムラ」の存在が明るみになった。
「原子力ムラ」は学会の中のムラを意味しているが、
政官財学民それぞれに「原子力ムラ」があったのだろう (「民」は立地自治体) 。
「原子力ムラ」のメンバーは、利害関係者だ。
重大な事故を起こすような地震や津波は発生しない!!!
圧力容器から放射性物質が漏れることはない!!!
利害関係者によって決められたことで、
多くの人々が被害をこうむるのは何とも理不尽なことだ。
この構図とピルの治療薬化の構図が重なるように思えた。
そして、「原子力ムラ」のメンバーであることを拒否してきた人のいることも知った。
彼らはずっと「敗北者」であったが、発言し続けてきたようなのだ。
発言を止めた自分が恥ずかしかった。
そして勇気をもらった。
今なら可能性はある、今こそ声を上げなくては。
そんな気持ちで「ピルとのつきあい方」の再構築を決意した。
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